フランスとフランス語あれこれ(英語もちょっぴり)

フランス語、フランスの文化、ニュースなど、また日本での旅行の記録、フランスなどに在住のフランス人メル友からの便りなどを紹介していきます。 今後、フランス語の細かい説明などの記事を増やしていく予定

カテゴリ: Baudelaire

Spleen de Paris    XXXIV  Déjà  
 
 
太陽はもう何度も昇った、ときには晴れやかにまた物悲しく 
その縁をちらと見ることも出来ないほど巨大な海の大桶から。
太陽は何度も沈んだ、きらきら光りながらまたどんよりとして
途方もなく大きな夜の湯船のなかに。
もう何日も前から、ぼくたちは天空の向こう側を眺め
地球の裏側の天のアルファベットともいうべき星座を読み解くことができた。
そして船客は一人ひとり、うめき、不平をもらしていた。
陸が近づいてくるのが、かえって人々の苦しみをかき立てているかのようだった。 
「いったい、いつになったら?」彼らは言うのだった。
「大波に揺すられることもなく、僕たちより大きな鼾をたてるあの風に悩まされることもなく、眠れるのだろう?  いつになったら食べられるのだろう、俺達が浮かんでいるこの汚らわしい水のように塩辛くない肉を? いつになったらゆっくり食後をすごせるのだろう、揺れない肘掛け椅子の上で?」
  
 
自分たちの家庭を想い、浮気で無愛想な妻や、さわがしい子供たちさえ恋しがる者もいた。
みな、陸地が見えないことに不安がり、
牧草でさえ動物達よりも喜んで食べるのではないかと僕には思えた。
 
とうとう岸辺が近いことが知らされた。そして近づくにつれて、
すばらしく眼もくらむような大地だとわかった。
命のあらゆる音楽が、かすかなささやきとなって聞こえ
あらゆる種類の緑ゆたかな岸辺からは、
何里先までも甘美な花々や果物の香りが漂ってくるのだった。
 
 
すぐに人々は小躍りして、不機嫌に別れを告げた。
すべての揉め事は忘れ去られ、お互いの過ちは許された。
約束されたはずの決闘は記憶から消し去られ
後悔でさえ煙のように消えてなくなった。
 
 
僕だけが寂しかった。あり得ないほど寂しかった。
まるで神性を奪われてしまう神官であるかのように、
僕には出来なかったのだ、
おぞましく人の気を引き、おそろしいほど単純で
なお無限の変化をたたえているこの海から後悔なしに離れることなど。みずからのなかに、またその表情、物腰、怒りや微笑みのなかに、かつて生き、今を生きそして未来を生きるすべての人たちの
気分と苦悶と陶酔を内包し表しているようなこの海から!
  
 
たとえようのないこの美女に別れを告げるとき、わたしは死ぬほどうちひしがれた。だから、旅の仲間の一人ひとりが「やっと!」というのに、ぼくだけは「もう!」と叫ぶことしかできなかった。
 
 
それでもそれは大地だった、その騒がしい物音、情熱、生活の便利さ、祝祭と一緒になった大地だった。それは豊かで素晴らしい約束に満ちた大地、わたしたちに神秘的な薔薇と麝香の香りを放ち、生命の音楽が、愛のささやきとなって私たちに届く大地だった。
 
 
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読みやすさを考えて、行訳にして表示しました
 
ボードレールには、いつも相反する感情に同時に惹かれる
ところがありました。
若いころ、家族に南洋旅行(アフリカを回ってインド洋の島=現在の  レユニオン島 まで航海)を強いられ、いやいやながらの旅行でした     が、後にその時の思い出がいくつかの詩に結晶しています。
この作品もその一つと言えるでしょう。
 
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Le Confiteor de l'artiste


ああ、秋の夕暮れは、なんとこころに沁みることだろう!         
あまりに沁み入り、胸が痛くなるほどだ! というのも、ある種の甘美な感覚が存在して、それは曖昧であっても強さを排除することはない。そして「無限」の先端ほど尖った切っ先はないのだ。

空と大海原の広大さに、みずからのまなざしを溺れさせるのは、なんという大きな悦楽だろう! 孤独、静けさ、比類なき青空の純潔! 水平線にふるえる小さな帆船、卑小で孤立していて、わたしの癒しがたい存在に似ている。そして大波のつくる単調なメロディー。これらすべては、わたしを通して考える、あるいはそれらを通してわたしは考える。(なぜなら、夢想の壮大さのなかで、「自我」はじきに消失するから!)
これらのものたちは考える、と言うが、議論や三段論法や演繹法も使わないで、音楽のように、絵のように、考えるのだ。

しかし、これらの思考は、わたしから出るにせよ、ものたちから生じてくるにせよ、じきに強烈になりすぎてしまう。
悦楽のなかのエネルギーは気分を悪くさせ、確実に苦しみを生み出してしまうのだ。張り詰めすぎたわたしの神経は、もはや嘆きと苦しみの振動しか与えない。

そして今や、空の深さの前で呆然とし、澄み切った様にいらだってしまう。海の冷淡さと、少しも変わらない風景に胸が悪くなる・・・。ああ、永遠に苦しまねばいけないのか。あるいは、美からは、永遠に逃れなければならないのか? 自然よ、この無慈悲で魅力的な女性、いつも勝ちをおさめるライバルよ、放っておいてくれないか!
わたしの欲望と傲慢さをそそのかすのはやめてくれないか!美の探究とは、勝負の付くまえから恐怖の叫びをあげて芸術家が逃げ出す、決闘のようなものなのだ。

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ボードレールの詩は、いつごろ、どこで書かれたか、特定できないものが多いのですが、この詩は、非常に多作だった1859年ごろ、ノルマンディー地方のオンフラール(Honfleur)、両親が引退して暮らしていた別荘に母親を訪ねた折に書かれたものといわれています。

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現在でも旧港にはヨットが停泊し、古い町並み、船底の手法で製作した、木製の屋根の教会などが残っています。(上の写真)

トップの画像は Etretat エートルタのもので、(アルセーヌ・ルパンの「奇岩城の舞台)」Honfleur ではありませんが、ノルマンディーの海が写っていて、距離的にもわりに近いので、載せてみました。左端に白い帆の小さな帆船も見えますね。

Honfleur には小高い丘があって、その当時、印象派の画家も多く訪れたという
由緒あるホテル(当時は田舎屋)にも泊まったことがあります。ボードーレールのいたのは、このあたりか、などと思いを馳せました。

「秋の夕暮」は日本の和歌にもよくうたわれていますが、感覚的なのは、
最初のところのみで、あとは、芸術論も交えて、なるべく硬くならないように
訳したつもりですが、どうみても理屈っぽいですねー。

難しいです。

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ボードレールの Spleen de Paris より、拙訳をときどきアップ。


スープと雲  

ぼくの大好きな彼女が夕食を作ってくれていた。それで食堂の開け放たれた窓から、
ぼくは眺めていた。神様が水蒸気でつくる、あの動いてやまない建築物、
あの、手で触わることはできないものから生まれた、見事な構築物たちを。
そしてうっとり見惚れながら、こう思った。
「このファンタスマゴリーさながらの絶え間なく変わる光景は、
大好きな彼女の眼と同じくらい、緑色の眼をしたあの娘と同じくらいに美しいな」

するとふいに、背中をどんとぶたれた。そして聞いたのだ、彼女の、
しゃがれてかわいい声、ヒステリックで、ブランデーの飲みすぎでやけたような声を。
――それはこう言った。
「いい加減にスープを飲みなさいよ、雲ばっかり見てないで!」

*ファンタスマゴリー  19世紀に流行した幻燈を用いた見世物
            (下の写真。lanterne magique とあり、これに
             似たものと思われる)

注記:男女の心の行き違いを描いて、さりげなく、日常的ながら、妙、と
   思います。

   ボードレールは一生、結婚はしませんでしたが、黒色のヴィーナスと
   呼ばれた、白人と黒人の混血の恋人を持っていました。もちろん、他に
   もミューズは大勢いますが、このジャンヌ・デュヴァルとは、腐れ縁
   のように、夫と妻のように長く関係が続き、彼女の面倒もみました。

   ボードレールを敬愛した、年下の画家、マネ(Manet )
による、肖像画も残っています。(上の写真)

もちろん、この散文詩の二人が、詩人とジャンヌである、という
   シチュエーションの限定があるわけではありません。

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ボードレールの作品をすこしづつ紹介していきます。

まずは、散文詩集、「パリの憂鬱」のなかの、とても有名な

L'Étranger

以前に対訳集を上梓したことがありますが、その中のものとはちがって、時代を現代と想定して、くだけた調子にしてみました。

解説、を先につけるのはご法度?かも知れませんが、おそらく
身なりも他の人々とは違う変わった人間。たとえば、現代風に言えばパンクなのか、その辺は何も書いてありませんが、想像してみて下さい。

この妙な若い男と、居合わせた、年長者と思われる男性との会話、のかたちをとっています。


異邦人

ーねえ、きみが一番好きなものは何?親とか兄弟かな?

ーぼくには、父親も母親も、きょうだいも、いやしない。

ーそれじゃあ、友達?

ーあんたの言う、その言葉は、今日までぼくにはその意味さえわからない。

ーきみの国?

ーぼくの国なんて、一体この地上のどこにあるのか、知らないさ。

ーじゃあ、美女はどうだい?

ー女神さまのようで、死んだりしないで、永遠に美しければね、好きにもなる かもしれないが。

ー黄金かい?

ーきらいだよ、そんなもの!あんたが神様を憎んでいるのとおんなじくらいにね。

ーおい、いったい何が好きなんだ? 妙な男だな。

ー雲さ! 雲だよ。
 あそこを、流れていく・・・ほら、あのすばらしい雲が。


*ボードレールは19世紀の詩人。フランスでは今もよく読まれ、教科書などにも出てきます。19世紀といえば、日本では江戸末期です。

原文はまたあとでつけますね。

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