フランスとフランス語あれこれ(英語もちょっぴり)

フランス語、フランスの文化、ニュースなど、また日本での旅行の記録、フランスなどに在住のフランス人メル友からの便りなどを紹介していきます。 今後、フランス語の細かい説明などの記事を増やしていく予定

2018年05月

「5月革命」が背景などに出てくる映画は3作あります

1 まず最初に、イタリアの巨匠、ベルナルド・ベルトルッチ監督の
ドリーマー The Dreamers  (2003年)

予告編です

これは以前、テレビでみて、録画もあるのですが、細部は忘れてしまった・・・
3人の男女が1か月、アパルトマンで暮らし
外にでると、そこは5月のパリ・・・


2 つぎは
5月の出来事当時、前の記事にかきましたゴダール監督が
たいへん感心したという、Philippe Garrel フィリップ・ギャレル監督の作品

Les Amants réguliers    「恋人たちの失われた革命」 2005年

ここは、ダンスの場面だけのようです・・・

息子のルイ・ギャレル(主演)が女性と話す場面

この監督についてはよく知らず、streaming で全編見られるところがあるようなので
 見たらまたかきますね

あらすじは

En 1969, un groupe de jeunes gens s'adonne à l'opium après avoir vécu les événements de 1968. Un amour fou naît au sein de ce groupe entre une jeune fille et un jeune homme de 20 ans qui s'étaient aperçus pendant l'insurrection.
1969年、68年の出来事を体験した若者たちが、アヘンに溺れる。
その中で、ある女性と20歳の男性の間に激しい愛が生まれる、彼らは
蜂起の間にお互いを見かけていた。



3 そして!ゴダール監督と、2人目の妻、アンヌ・ヴィアゼムスキー
を主人公とした、2017年、カンヌ出品の作品
Le Redoutable  英語のタイトルは、Godard My Love
そして、日本語のタイトルはなんと

「グッバイ・ゴダール」

この夏公開


その前に、ゴダール監督の有名作品、いろいろありますが、
ここでは私がほとんど一番好きな
Pierrot le Fou (「気狂いピエロ」 の予告編


久しぶりに見たら、色彩すごい!
最後のところは出てこないですね・・・
ランボーの詩がでてくるのですが

それから、Mai68を予告したともいわれる
La Chinoise  「中国女」  1967年  予告編

マオ・マオ・・・と歌っていますが、そのころ心酔者もすくなくなかった
毛沢東 のことで、毛 をフランスでは、マオと読むため
というか、中国語は、マオ の感じで、日本では今でもそうですが、漢字読みにするから)

ここででてくる赤毛の女性が、アンヌさんで、すでに他の映画にも出ていますが
このあと、ゴダール監督と結婚します。(当時19才)

イメージ 1


アンヌさんは、3年で別れてしまいますが、その後40歳ごろから
小説家に転身(祖父が、なんと文豪のFrançois Mauriac  フランソワ・モーリアック) 自伝的なものが多く、自身とゴダールの生活を描写
もちろん、小説ですが

 Une Année studieuse   「彼女のひたむきな12か月」訳あり、邦題

には、撮影の模様もでてきます。映画は、アパルトマンを借りて、どちみち
内装をしなくてはならず、それではと、映画に使うために壁を真っ白に塗り
また、スローガンを書いた、などなど

それから、前の記事にも書きましたが68年当時にゴダールが撮影したのは
Rolling Stonesの Sympathy for the Devils  「悪魔を憐れむ歌」収録の模様を描いた

One plus One
( 文字通りには、1+1 という意味、いつだったか渋谷でこれは見ました)

予告編はこちら

最後のクレーンに旗がひらめいているところ
実は海岸で、Sous les pavés, la plage  (敷石の下に砂浜がある)
  という Mai68の有名なスローガンがでてきます
(これ、プログラムもっていたのですが、今いづこ・・・)




で、お待たせしました 笑
Un an apres を原作とした
グッバイ・ゴダール予告編、これは日本のあります(公式サイト)

原題は Le Redoutable   恐ろしい人、またもの、の意味ですが
  どうもゴダールのことでなく、 Un an après  (一年後)の本の中で
Ainsi va la vie, dans le Redoutable  というのが二人の標語みたいになっていて
 それは、フランス初の原子力潜水艦の名前、これをラジオ放送したときの言葉の
 ようです・・・

ここでは、ゴダールはどちらかというとバカにされてるみたい
原作も映画も、雰囲気として

cocasse  

滑稽な、といわれているようです
drôle  よりも可笑しく  ridicule バカバカしい、ほどではない

ゴダールを演じているのが、なんと、上の Philippe Garrelの息子、
Louis Garrel なのも何かの因縁か
監督は、L'artiste で、アカデミー外国映画賞を受賞した
ミシェル・アザナヴィウスです

二人は新婚のアパルトマンをカルチエ・ラタンの、Rue St-Jaques に買いましたので
学生たちの衝突をまさに目の当たりにしました
(もちろん、本にもいろいろ描かれています)

どんな映画になってることやら・・・?
でも、見に行こうかと思っています

で、この頃読んだ、アンヌさんの本

イメージ 2

左の表紙はもちろんアンヌさん、右は映画のポスターがそのまま使われています

一冊目のほうは、可笑しくて何度も笑いました


Anne Wiazemsky は、作年、70歳で亡くなったそうです
病を押して、試写会には行けたとか

2012年、2015年に出版されているので、人生終わりに近づいたと
物語にしたのかもしれないですね

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追加
本日、学生さんたちと授業で見た、こちらのフランス語版
英語字幕付きの予告編のほうが
街頭の様子がたくさんでてくるようなのでこちらもアップします
ぜひごらん下さい


(日本の予告編は若い女性をターゲットにしている? かなり雰囲気、上のとは
違いますね・・・)

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イメージ 1


フランスのサイトを見ましたら
5月の危機の様子が短くまとまっているものがありましたので、アップします。
(このブログでは直接youtube の映像を載せられないようで、リンクを貼りますね)
映像はINA 国立の映像を保存する機関のもの


要約
パリの人々は、朝起きて、カルチエ・ラタンが一変しているのを見る
180台の自動車が壊され、負傷者367人、20人が重症(11日朝の映像)
(字幕とナレーションが違っているところがあります)

9日前のナンテール(パリ大学ナンテール校)の模様(近代的なビル)
学生たちの騒ぎのすえ、3000人のCRS(機動隊)が取り巻き、閉鎖(5月2日)
ソルボンヌにもCRSが配備され、学生の怒りを招く

このような状況からカルチエラタンにおける1週間にわたる攻防となる



イメージ 2
                  
le monde から拝借

経過
lundi 6  (6日 月曜) コンバンディット(学生側の指導者)他7人の指導者は
         ソルボンヌに召喚される
      学生のデモは増大し、CRSとの衝突がはじまる、1万人の学生
     深夜に過激になり、600人が負傷、4000人の学生逮捕、うち31人
     拘束される
mardi7  (7日 火曜)  新たなデモ、ソルボンヌの閉鎖と学生の逮捕に抗議
           (衝突はなし)
mercredi 8  (8日 水曜) 学生の集会、なかに、ノーベル賞受賞の科学者
      Alfred Kasler など。(催涙弾による学生の負傷に懸念を示したという
          -訳者注)
      国民議会はソルボンヌでの授業の再会を言うが、この状況では困難と。
      CRSが集結、緊張のなかにらみ合いがつづく

jeui 9    ( 9日 木曜) ソルボンヌは授業の再会を発表するが、ごく一部に留まる   
      閉鎖が続き、学生たちは、コンバンディットを中心に3000人が道路に座り  
      込み。ソルボンヌは閉鎖されたままで失望が広がる

      ナンテールでは授業が再開、しかしほとんど講義はなく
      一方ソルボンヌでは閉鎖が続き、夕方、ダンフェール・ロシュローに
      学生、高校生が終結

      ソルボンヌの警備はさらに強化されナンテールの学生はソルボンヌに
      移動。満足な結果を得るまで戦うとする

      
かくしてパリは1か月間、戦場のようになり、6月中旬まで続く
バリケードをめぐっての攻防、警察は催涙弾を学生に発射・・・

==================

                

これが長すぎるという方は、以下に短めのものが(2分くらい)

France2放送、(今年5月3日)のもので、France Soir (新聞)の記者が撮影した
写真の展覧会が開かれます
50年たって、芸術的価値ももつこれらの写真は、20世紀の出来事で
もっとも撮影されたものの一つである。



日本では1年後、69年に多くの大学が学生たちに占拠され、あるいは大学が
ロックアウトしました。わたしも学生でした。大学も校舎も一時は占拠、
なつかしい・・・

デモをすればよいというものでもありませんが、現在の日本では
デモさえできない(歩道から出られない)。これは異常でしょう。

政治=生活  なのではないでしょうか。
  教育、働き方、賃金・・・  環境
  結局、すべては政治が決定します。若い人たちも自分の生活に興味があるなら 
  ば政治にも目をむけてほしいなと思います

(なぜか昔の放送はわかりづらいところがあり、修正したりしました、悪しからず)

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50年まえ、とは古い話 になりますが
この5月という月は、フランス、パリでは
ナンテール(パリ大学のナンテール分校)に端を発した
いわゆる5月革命 の季節です
フランス語では、たんに Mai 68  (68年5月)といいます

学生さんたちに、この熱気に満ちた、その後世界に波及した
学生たちの理想、運動をこの機会に話そうと思いましたが
なにしろ半世紀も前のこと
当時の著名人もみなわからないでしょう

そこで、まずは5月革命の主役たち(もちろん学生、労働者、民衆が主役ですが)
主だった人々をわたし流にまずは紹介しましょう

1 ドゴール大統領
 当時のフランス大統領、77歳、もともと軍人、ドゴール将軍です
 第2次大戦では、パリがナチスに占領され、
 イギリスに亡命、ラジオでフランス国民に抵抗を呼び掛けた「英雄」です
 1959年から大統領

イメージ 1

アルジェリア戦争(アルジェリアは地中海を挟んで対岸ともいえるアフリカの国、
第2次大戦終了後もフランスの植民地でありつづけ、戦争をへて1962年独立)
ドゴールは、独立を認める方針で、OASなどに命を何度も狙われたこともある
古い世界を代表する


ところで戦後のフランスは経済的にも発展、成長率は5%以上失業者もほとんどなく、Les Trentes Glorieuses (栄光の30年と言われていた)

(折しもベトナム戦争、アメリカの公民権運動、中国の文化大革命、
そのような時代、なぜフランスではあのような大規模なデモ、ゼネストに発展したのか?それが問題ですが、ここではまず人物を・・・)

1-2   ポンピドゥー首相(近代美術館を含む、ポンピドゥーセンターにその名を残す)
   グルネルの協約(l'accord de Grenelle ) を労働組合と結ぶ、しかし当時、第一     の労働組合を持っていたルノー(Renault 現在でも存在、カルロスゴーンがCEO)の労働者がこれを拒否

イメージ 11



(ここまで政府側)


2 Daniel Cohn-Bandit
そんな中で学生たちの運動が起こるわけですがその中心となった
ダニエル・コーンバンディット(コンバンディ)は当時23歳
パリ大学、ナンテール校の学生だった


イメージ 2



CRS(機動隊)に囲まれている赤毛の男性がコンバンディット
一時フランスを追放となるが、密かに帰国
(ドイツ人の両親、フランス生まれ、フランスで教育を受けた。
5月以後はドイツとフランスの政界で活躍、2014年まで欧州議員を務めた。現在71歳 毎朝ラジオ、ヨーロッパ1 Europe1 で意見を発信。ヨーロッパ連邦主義者)


当時学生数が、ベビーブーマー(=日本でいう団塊の世代)が大学入学の年齢となって急激に増大。パリ大学は13校に分かれてナンテールは郊外のコンクリートの建物(これも学生の不満を招いたのかも)


イメージ 3
                                ソルボンヌ大学のチャペル

3 カルティエ・ラタン
人物ではないが、学生たちと機動隊の衝突の主な舞台となった場所

パリ5区(ラタンはラテン語のことで、中世では学問はラテン語で行われ、ヨーロッパ中の学術の共通言語となっていた)ラテン語の界隈という意味
学生街である

わかりやすそうな地図があったので追加します


イメージ 13


日本によく知られている、ソルボンヌ大学は(はじめ神学校だった)ここにある
建物は歴史建造物ともいうべき石造りで立派である(わたしも授業の一部がこの中であった。(80年ごろの話)掃除もたいへん行き届いていたが、それは学生のためというより、建物の維持のためと思われたくらい)

4 ジャン・ポール・サルトル
哲学者、小説家、劇作家。1964年のノーベル文学賞に選ばれたが受賞を拒否
(このころはすでに他の哲学者、アルチュセールらが流行していたというが)
engagement アンガージュマン→ 知識人、芸術家の社会問題への参加 の先頭にたって、学生たちを支持した


イメージ 4


イメージ 5

ちらしを配る、サルトルと、パートナーで小説家のシモーヌ・ド・ボーヴォワール
 (France Culture, chemins de la philosophie より)


5 ジャン・リュック・ゴダール
 映画監督、「勝手にしやがれ」などの作品で、いわゆるヌーヴェルヴァーグの
 中心人物。5月革命を予告したといわれる、「中国女」を制作。当時37歳
 この年のカンヌ映画祭を、トリュフォーらとともに中止に追い込んだ
 これ以後、政治的な映画を集団で制作する(1979年に商業映画に復帰)

イメージ 6

16ミリカメラでデモなどの様子を撮影するゴダール



イメージ 7


しかし、この年5月には「契約の都合」で、ロンドンで
Rolling Stones の録音風景を映画にする(One plus One )
ただし、政治的メッセージの朗読の場面などをはさみ
最後は、5月革命の有名なスローガン

Sous le pavé, la plage    ス ル パヴェ、ラ プラージュ

敷石の下には海辺がある

をだしている
(これは敷石ー出来上がった社会、を取り除けば、自然がある、自由がある、という意味。ちなみにパリはもともと海だったので、地面は砂地である)

pavé とはパリの道路にしいてある石のことで
ちいさな四角い板にみえるが、立方体の石で、学生たちはこれをはがして
投石した

それが山のようになった写真

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イメージ 9

こちらのほうがわかりやすいかも
かなり大きな石です
(両方とも Il y a 50 ans Mai68 から拝借)


6 CRS (機動隊) セー・エル・エス (略語で、そのままアルファベを読む)

 日本でもデモの規制に登場
 写真の必要はなさそうですが、学生の間では
 CRS..SS!    と連呼したという
 SSは説明するまでもなく、ナチスの親衛隊を指す


イメージ 12



7 (番外)Pierre Bourdieu  ピエール・ブルデュー

フランスの社会学者
番外、としたのは、彼の社会分析が5月革命を予告的に説明すると考えられているため。
当時の若者たちの中で、いわゆる「格差」が、家庭環境により作り出されていることをすでに1964年に論文で発表している。(これを「文化資本」という)

(この時点で運動したわけでなく、後にDistinction で彼の論理は結実する
また、晩年は彼自身、engagement の学者であった)

その著書、 les Héritiers 「遺産相続者たち」 (共著)

イメージ 10
                   amazon.fr より


(人物、とういう観点はl’Obs の記事を参考にしました)

このあとは別記事で、ゴダール監督とアンヌ・ヴィアゼムスキーのラブストーリー
を、68年を背景に描いた映画  Le Redoutable  を中心に書く予定
(2017年カンヌ出品、日本では7月公開)

50年、といえば、昔、むかし・・・ですかね。。。

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イメージ 1

季節はずれになっていますが、よければお付き合いください。

仁和寺の御室の桜は美しいですが、遅咲きで有名です
そのため、ソメイヨシノが散ってから咲きはじめ
4,5日の京都滞在では両方をみることはかないません

しかし!
今年は冬が厳しかったせいか、花々はどれもいっせいに咲き
夫がネットで調べると、京都4日目、7分咲きという
それではいかなくちゃ!

トップの写真、門の中央に白い看板があります
これではよく見えませんが
「御室の桜満開」 と告知されています(4月3日のこと)


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それはもう、満開も満開、すばらしいことになってました
以前、5月末に行ったときは、もちろん葉ばかりで
丈の低い御室の桜は、そうたいしたこともなく思えました・・・
しかし、咲いているとその美しさ、ぷっくりしたはなびらとともに
目のすぐ近くで楽しめることがわかりました


イメージ 3

お天気も最高!
暑かった、27度まで上がったそうです



イメージ 4

五重塔も美しい



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こんな感じの花です



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ミツバツツジも満開、カエデももう柔らかな葉をだしていて
まさに春爛漫  みな同時に咲いています


本堂の前で、和尚さんが講和をしておいでで、なんとなく聞きます
優しそうな方で、あまり宗教的になるといけませんが・・・などと遠慮がちにお話を
そして最後に、「檀家の方々とは15日に花のないお寺で会をします」
といっておいででした。そう、普段ならばそのくらいが満開なのです・・・


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大きなカメラを持っている方に写真をお願い
やっぱり、そういう方はお上手ですね


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記念に桜の念珠を買いました
寺町の由緒ある数珠店の制作
(以前、唐招提寺のはなくしてしまった・・・。大泣きです。木製なので、炊事のときにははずしたり
するためかと。今回は帰ったらちゃんと机の上に置くようにしています・・・)

ほんとうにすばらしい桜紀行でした
(去年は全然さいていなかった。今年は最高の年にあたりました)

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イメージ 1


もう春、でもありませんが、よければお付き合いください

中学生のとき、堀辰雄の「大和路」を読み、それ以来
浄瑠璃寺にあこがれていました
京都からも奈良からも時間がかかり、なかなか行けませんでしたが
今回やっと訪れることに

京都3日目、奈良まで近鉄で行き、駅周辺を少し散策
というのも、浄瑠璃寺は、まったく山の中、ほかに大きなお寺もなく
(いまは石仏巡りなどあるようですが)
いわば山の中に孤立しています
藤原時代、災禍にあわなかったのもそのためでしょう

まずは駅の近く、東福寺に(トップの写真)
(周辺には楽しそうなお店がいろいろありました。バイトがいっぱいなので)



ところで、浄瑠璃寺までのバスは、1時間に1本しかなく
しかも12時はそれもありません
なので、夜に、以前ピツアが美味しかったところがあればそこで食事
のつもりでしたが、お昼に行くことに

イメージ 2


例によって食べてますが、定番のマルゲリータ、本当にナポリ風
美味しいです!

前菜つきで、一人1枚づつ、食べられず、ドギーバッグにしてくれました
(今どきめずらしい、gentil!  親切です)

1時15分のバスで(所要時間は30分足らず)

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山やら畑やらを通っていく・・・

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やっと着きました



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楚々とした門です



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ちょうど行く前にBSの番組で放送
まずはお庭を拝見して、それから本堂に行くのが良いということ
少し上がった、三重塔のところから望む本堂



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浄土にたどり着きたい、という願いは同じで一番有名なものは
宇治の平等院ですが、地方の豪族がこのようなお堂を建立したということです
ここは、9体の仏様がおられ、別名、九体寺、とも呼ばれています



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美しい写真入りのパンフレットがいただけます
内部は写真撮影はできませんので、これで仏様を想像して下さい
静謐な内部、観光客は10人もいませんが、お寺の方もたいへん静かにお堂を守っておられます



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きれいなカードもたいへん美しく、お安い



イメージ 10

これが入り口への馬酔木の花々
堀辰雄の本には、妻が「馬酔木の花を掌にのせて、もてあそんでいた・・・」の
記述がみられます。何本か垣根のように植わって咲き誇っていました


そのまま奈良にかえればよかったのですが、もう少し上にもお寺があるというので
バスで上がりました、そこには私たちともう一人の女性だけ
お花はきれいでしたが・・・なにか興ざめでした、仕方ない
もう奈良行きはなく、JRの隣の駅までのバスにのった(その日最終のバス)

長年の夢がかないました。夫はこれで浄土に行ける、なんて言ってます



堀辰雄は帝国大学国文科ということですが、プルーストや、ヴァレリーにも影響をうけ、「風たちぬ」はヴァレリーの詩の一節ですね、いまごろになって何か縁を感じます
中学のときの国語の先生が堀辰雄や朔太郎を朗読して下さり、その影響がいまでも残っています
(アメリカからお手紙を出したら、長いお返事をいただきましたが、それに満足して、以後文通などしなかったのが悔やまれる。若い時ってそういうものかな)

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